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【ネタバレしまくりです。ついでに『The Last of Us』の展開にも触れてます】


『ディストピア パンドラの少女』、面白かった!

映画全体の演出としては、思わせぶりに鳴り響くBGMに頼りすぎ(特に前半の密室パート)だと思うが、徐々に明かされる世界設定と、主人公・メラニーのキャラクターで最後まで飽きさせずに見せる見せる。映画鑑賞後に原作小説も読んだが、映像化する上での要素の取捨選択・換骨奪胎も凄まじく上手で驚いた。

とはいえ気になった部分がそこそこあったのも事実。特に感じたのは、バランス感覚に長けた構成になっている反面、「人外キャラのバイオレンスアクション」「延々と続く廃墟を歩く少女」など、監督によってはフェティッシュが炸裂して化けそうな要素も、可もなく不可もなくまとめられてしまい、飛び抜けて印象に残るシーンが少ない点。特に野生の第2世代とメラニーが戦う場面が緊迫感ゼロになってたりとか・・・。

それとは全然別のレイヤーでもう一つ、鑑賞中ずーっと気になったのは『The Last of Us』との類似点。
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PS3で発売された超名作ゲーム、『The Last of Us』の世界設定とあらすじは以下の通り。
・人類に寄生する冬虫夏草により文明が崩壊して数十年経った世界が舞台
・冬虫夏草ゾンビは成長とともに朽ちて、胞子を放出する状態に変異する
・世界を救う可能性を秘めた少女が、庇護者とともに廃墟の街をひたすら進む
・最終的に「少女を解剖して世界を救うべきかどうか」の展開になる

改めて書き出すとすっげー似てる!
『パンドラの少女』の原作は2014年刊行で、その原型となった短編『アウリスのイピゲネイア』は2012年発表。一方の『The Last of Us』は2011年には基本設定を公開している。少なくとも、『アウリスのイピゲネイア』を長編化する際に『The Last of Us』が与えた影響が大きいのでは・・・。


まあ上記の気になった2点は、オタクがちゃちゃ入れてるだけだという自覚もあるのでこのへんでやめておきます。
『パンドラの少女』のスゴい所は、「少女を犠牲に世界を救うべきかどうか」の問いに、予想の斜め上を行く結論を与え、しかも映画を最初から見てきた者にとっては、その結論にものすごく納得感がある、という部分だ。

映画冒頭、メラニーは仲間とともに薄暗い密室に閉じ込められている。ハングリーズが地上の大半を制圧しているものの、この時点ではメラニーを取り巻く世界は完全に人間が支配しており、彼女たちは人間モドキの忌まわしい奇形児として扱われている。
メラニーはここで、ただ一人敬愛する存在であるヘレンから、「パンドラの箱」をはじめとする様々な神話を聞くのを楽しみにしている。そしてまた、恐ろしいモンスターを退治し、ヘレンと二人で幸せに暮らすことを夢想しながら日々を過ごしている。しかし、薄暗い地下に囚われた彼女の生活は「ハングリーズ」の襲撃によって突然破られる。

ハングリーズ襲撃の混乱の中、それまで従順に人間に従っていたメラニーは本能を爆発させ、本来の姿を取り戻し、血の渇望に突き動かされながら地上を駆ける。人間の作った薄暗い穴倉から脱し、第2の出生を果たすのだ。
(ちょっと脱線するが、原作だとこの場面はもっとスゴい。メラニーはこの時点で生体解剖の準備として髪の毛を剃られ、服もすべて脱がされた全裸つるっぱげ状態で解き放たれる。その上で噛み殺したヒトの鮮血を浴びて立ち上がる、まさに「産まれ出でた!」というメタファー全開の痺れるシーンになっている。そのまま映像化したら色んな団体から確実に刺されるので仕方ないと思うけど、もし原作に忠実に映像化してたら最高のシーンになってただろうなー)
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その後のメラニーは、ハングリーズの本能と人間の規範の間で揺れ動く。本能に突き動かされながらも、長い間それが忌むべきことであると教えこまれてきた彼女は、自分がいったい何者なのか、自問自答を続ける。そして遂に、その決定的な瞬間が訪れる。
彼女を閉じ込めてきた薄暗い密室。憎みつつも共に歩んできた人間たち。その象徴たるコールドウェル博士との対話により、メラニーは自分が奇形や偽者などではなく、立派な命をもち自立した存在であることを確信する。この瞬間、物語の主導権は完全に人間(というより“旧人類”)側からメラニー側に移る。「少女を犠牲に世界を救うべきかどうか」ではない。「少女が旧人類の世界を救うかどうか」の話になるのだ。

そしてメラニーは、自分の心に従い、パンドラの箱を開けることを決意する。自分を虐げるモンスター・旧人類を絶滅させ、敬愛するヘレンと平和に暮らすハッピーエンドを実現すること。そのために彼女は、ハングリーズの胞子を世界中に解き放つ。
ラストシーン、研究車輌の中で暮らすことを余儀なくされたヘレンと、それを取り囲む第2世代の子供たちの構図は、旧人類が新世人類を薄暗い密室の中に閉じ込めていた映画冒頭の状況を、完全に裏返したものだ。旧人類の世界は終わり、環境への適応を果たした新生人類の世界が始まるのだ。

それでは、メラニーの開けたパンドラの箱の片隅に残った唯一の希望は、何だったのだろうか?
環境に適応できなかった旧人類は死に絶えるしかない。しかし旧人類の知識と歴史は、ヘレンを通じて第2世代の子供たちに受け継がれ、次の人類の道しるべとして生き続ける。遺伝子は途絶えるが、文化子は新生人類の体に刻まれ、この先も残るのだ。それこそが、旧人類を絶命させた最初の1人であるメラニーと、旧人類最後の1人であるヘレンの共通の希望であろう。
こうして、メラニーとヘレン双方にとって非常に奇妙で危うい形ではあるがハッピーエンドが成立し、物語を閉じる。

いやー、なんとも素敵な、絶妙なオチの付け方だった。ハロー、ニューワールド。

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