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先日Twitterで、「『マッドマックス 怒りのデス・ロード』はなぜこんなにもヒャッハーできるのかをロジカルに解説した記事とか無いかな」というツイートを見た。たしかに言われてみれば何でだろうなーとハッとしたので、改めて自分なりに考えてみた。

まず最初に“ヒャッハー”の定義をしてから分析を始めようと思い、「疾走感、爽快感、予想外の驚きと笑い、それらが渾然一体となった心的状態が・・・」と理屈を捏ね回してみたのだが、いくら考えてもヒャッハーはヒャッハーだ。どうやっても定義できない。『マッドマックス』を観た人にはヒャッハーの一言で通じると思うので、さっさと話を始める。

全編ヒャッハーを維持するという芸当は、主に「物語が停滞しない仕掛け」、「爽快感を保つ仕掛け」、「観客の予想を裏切る仕掛け」の連打によってなされている。今回は、キャラクター、演出、アクションの3つの視点から『マッドマックス』がヒャッハーを生み出す仕掛けを紐解いていく。

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【 キャラクター 】
この映画には2種類の人間しか出てこない。
 ①殺意を秘めている奴
 ②殺意むき出しの奴
以上だ。

致命傷を負ったと見るや敵の車両に飛び込み自爆するウォー・ボーイズ。マックスに突きつけたショットガンの引き金を迷いなく引くフュリオサ。力の弱いワイブズたちですら、隙あらば追っ手を殺すことに躊躇はないだろう。障害を排除することに逡巡しない。思い悩まない。だから話が早い早い。

極論を言えば、映画において「悩むシーン」というのは不要である。物語の進行上、どこかのタイミングで悩みは絶対に解決するものだからだ。普通の映画では、観客はそれを分かった上でキャラクターが悩むシーンをいちいち見せられているのである ( 邦画のヒーロー映画なんか、ヘタしたら主人公が2時間ぐらい悩み続けてたりする )。この映画は「悩む」シーンを極限までカットする ( またはアクションの中に溶け込ませてしまう ) ことで、ラストシーンまでひたすら走り続ける。

また、本作は登場人物に賢そうな奴が1人もいないと言われているが、実は敵も味方もほぼ全員が、目的のために一番効果的な行動・最適な行動を最速で選んで実行するので、普通のアクション映画によくある「あああ!お前なんでそんなバカな行動してんだよ!クソが!」的な観客側のフラストレーションがほとんどない。というか、各キャラクターの行動は、観客が最適解だと思う解決方法を余裕で上回ってくる。

運転席が追っ手に狙撃されそう → 弱気に見えたワイブズの1人が躊躇なく盾になる
車をスピードアップさせなきゃいけない → よし、エンジンに直でガソリンを吹き込もう!
この車を止めなきゃいけない → エンジンを引っこ抜けば止まるだろ!

そう、実はバカがいないのだ。いや、上に挙げた例はある意味全部バカなのだが、“愚か”ではない。リミットを外して最適解を選んだら、それがたまたま異常な振る舞いに見えるだけだ。
これは日本のマンガだと『ジョジョ』や『ハンター×ハンター』が得意とするゾクゾク感に近い。「敵も味方も、観客の予想を上回る最適解を撃ち合う」という戦いである。予想の斜め上を行く驚きが連発されるため、観客は一瞬たりとも気が抜けず、ハイスピードの戦いを追いかけることになるのだ。

さらにこの映画がスゴい点は、キャラクターが「構成要素」レベルでしか描かれていないことだ。
マックスの過去のトラウマなんか、「泣き叫ぶ女の子がフラッシュバックするだけ」である。これだけしかない。マックスが後半でフュリオサたちに協力することになる心境の変化を、これだけで納得させようとしている。

そして見事に、それが成功しているのだ。
脚本だけ見れば、丁寧なキャラクター説明は全くされない。キャラクターが心境を長々と語るセリフも用意されていない。肉付けしているのは俳優たちだ。キャラクターたちは全編のほとんどを、叫び、殴り合い、銃を撃ち、とにかく戦い続け、動き続けている。その一瞬一瞬、一挙手一投足に、そのキャラクターの背負う想いや過去が見え隠れする。脚本に描かれていないからこそ、1つの動作すら無駄にせず、俳優たちが動きで語るのだ。個性を。信念を。魂を。

ここまでキャラクターの説明要素を削ったのは、一歩間違えれば「なんだこの薄っぺらなキャラたちは!」「少女のフラッシュバックだけであんなに心変わりするかよwww」と言われる大失敗になったかもしれない決断である。俳優の力を信じ、極限まで要素を削りまくった監督と、それに120%応えた俳優たち。その結果生まれた、本作の唯一無二のスピード感。ただただ素晴らしい。

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【 演出 】
一見、オープニングからラストまで全力疾走を続けるこの映画にも、実はあちこちにスピード感をさらに増す仕掛けがしてある。

冒頭でマックスたちが砂嵐に遭遇した後、目を覚ますシーンで観客はこう思う。
車を失い、フュリオサのトラックも見失い、これで冒頭の“掴み”のアクションシーンが一段落して、砂漠で立ち往生する小休止が入るのかな、と。
が、次のシーンでそれは覆される。100メートルぐらい先にフュリオサのトラックもエンコしている!!!!
こうして観客の予想を裏切ってストーリーは停滞せず前に進み始める。

また、オートバイ集団の支配地域を通るシーン。フュリオサに、絶対1発で覚えられないようなややこしいエンジン起動手順を教えられるマックス。フュリオサは言う。「私が“バカ野郎”といったらエンジンをかけるように…」
ここで観客は思う。これは映画的に絶対にかからない場面だ、と。1発でエンジンがかからずピンチになる展開だろ、と。もうちょっと穿った見方をする映画ファンになると、「はは~ん、1回目の『バカ野郎!』でマックスがエンジンかけるのに失敗して、フュリオサがイライラしながら『・・・バカ野郎!』ってもう1回はき捨てるように言う演出かな」などと妄想する。

そしてフュリオサが合図を叫ぶ。

「バカ野郎!」

ブオーン!!!!!!!!

かかるんかい!

あんな前フリしといて1発でエンジンがかかるのだ。
「これは時間がかかる場面かな」と観客が腰を据えようとした瞬間、こんな風にアクセル全開で走り出す場面が要所要所にある。観客の予想を絶妙に出し抜き、物語のスピードアップを強調するシフトチェンジの仕掛けだ。シンプルなストーリーにも関わらず意外なほど既視感なく本作が観られるのは、このように“映画あるある”を裏切る場面をたくさん忍ばせているからだろう。

もう1つ、この映画の一見バカに見える描写は、実は全てこの映画を成立させる必要不可欠な要素であることも指摘しておきたい。

『マッドマックス』のプロットには致命的な欠陥がある。
「車で数日走った場所に脱出しようとしている」点である。
いくら他勢力の支配地域を挟むとはいえ、脱出先がご近所すぎる。数日でたどり着ける場所に安住の地があるなんて、どう考えてもおかしい。そんな距離にあるのに、なぜフュリオサは何年間も足を向けなかったのか。また、そんな距離に逃げたところで、あっという間に追っ手に攻め込まれるだけだろう。
かといって脱出点を遠い距離に設定しすぎると、納得感は増すものの、あれだけ激しく濃密なカーチェイスの連打が不可能になり、この作品の魅力が完全に死んでしまう。
つまり本来ならシナリオ的に成立不可能。そもそもの構造がおかしいのだ。

・・・おかしいのだ。確かにおかしいのだが、多くの人がそこに気付きつつも、いちいちツッコもうとはしない。なぜなら、それ以前におかしく見える部分が大量にあるからだ。
口に銀色のスプレーを吹きかけて自爆する白塗りの男達。火を噴くギターをかき鳴らす真っ赤な男。ショベルカーに300本ぐらいトゲをつけた改造車。V8エンジンの祈り。人喰い男爵の乳首。母乳牧場。
これら「一見バカに見えるが正しい要素」「どう見てもバカだが演出上100点満点の要素」など、観客としては納得してしまう大量のバカ要素で全編を埋め尽くし、どう考えても致命的な物語構成上の欠陥を「この映画が孕むその他大勢のバカの一つ」に矮小化しているのである。

これはすごい。まがりなりにもシリアスな作品で、こんな方法で堂々とシナリオの欠陥を消し去ってしまうとは。真似しようにもこの作品にしかできない。この映画の一見バカな見た目は、実は疾走感ある脚本を成立させるため、計算の上でああなっているのである。

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【 アクションシーン 】
『マッドマックス』はカット割りの細かさにも関わらず、アクションが非常に見やすい。エネルギッシュに見えて、荒削りではない。これは爽快感の創出に非常に大きく寄与している。ちょっと掘り下げてみよう。

昨今、アクションシーンで細かくカットを繋ぐのが流行りだ。スピード感を出すだけでなく、アクションの下手な俳優の動きもごまかせるからだ。が、この細かいカット割りが失敗している映画は非常に多い。何が起こっているか見づらく、ただアクションの爽快感がなくなってしまう場合が多いのだ。見づらくなってしまうアクションシーンと見やすいアクションシーンの例を、ものすご~く極端な形で示してみる。

< 見づらくなるアクションのカット割り >
カット①:キャラAが振りかぶって、キャラBを殴る。
カット②:キャラBが素早くガードする。
カット③:キャラBが殴り返してキャラAにヒット。

普通のテンポで映す分には全く問題ないが、カットの尺が短くなればなるほど、この割り方だとアクションは見づらくなる。各カット内で出来事が完結してしまっているので、次カットとの繋がりが弱くなるからだ。観客は一瞬しか写らない1カットごとに目を凝らして、「今何が起こっているか」を改めて見極めなくてはならない。
スピード感をさらに増そうとして、手や顔のクローズアップを挟んでカット数を増やしたりすると、カットの流れに断絶が入ってアクション全体の流れがさらに分かりづらくなる。

< 見やすいアクションのカット割り >
カット①:キャラAが振りかぶる
カット②:キャラB、キャラAの繰り出すパンチをガード。B、すぐに振りかぶる
カット③:キャラBのパンチがキャラAにヒット。

一方、こういう撮り方だと1カットごとの尺が短くなっても見やすい。要するに、攻撃の予備動作なり武器を構える動作なり、次のカットへの“前フリ”を入れてからカットを切り替えるということである。
人間の脳は無意識に先の展開を予測するので、「Aが振りかぶったからBを殴るだろう」という脳内補完をする。その脳内補完ができるヒントを出してからカットを切り換えることで、素早く次のカットに換わっても何をしているところか簡単に把握できるのだ(視線誘導と言います)。
『マッドマックス』のアクションのカット割りはこの部分がとても手堅く徹底されている。これは冒頭のマックス/フュリオサ/ニュークスの乱闘シーンで特にハッキリ分かる。確実に違法アップロードなので直接リンクは置かないが、この場面はすでにYouTubeで見れたりもするので、お暇な方はちょっと見てみてほしい。


・・・これら以外にも「抑圧者への反撃」という誰にでも当てはまる快感原則に沿ったストーリーや、ジャンキーXLによる最高にイカした音楽など、分かりやすいヒャッハー創出要素もまだまだたくさんあるが、ひとまずこのぐらいにしておきたい。


とは言え、この作品のスゴいところは、こういう細かな企みや理性的な技法をほとんど感じさせず、全編に渡って圧倒的なハイテンションと熱量で観客を圧倒してしまうところだ。我々観客にとって、もしかしたら上記のような分析自体が無意味なものなのかもしれない。
この映画は、15年以上かかっても企画をモノにした監督の熱意の具現化。まさに監督から観客に向けた、最高の「俺を見ろ!!!!」の叫びなのだ。

だから、その叫びを目撃した観客はただ一言、叫び返せばいい。「見届けた!!!!」と。

 

Comments

とみなが | 07.11.2015 00:33
ありがとうございます!
友達同士で語り合っていた諸々をきちんとした文章にしてくださって本当に嬉しいです。

ジェット・リョーさんにヴァルハラの門が開きますよう。
V8!
109 | 07.14.2015 12:42
昨日観てきてヒャッハーが収まらないのでウロウロしていたらたどり着きました。
観てる間はただただ「うわー!」「うおー!」「ヒャッハー!」しか考えられなかったんですが、こちらを読んで更に「面白い映画を観た」と感じました。
うーん。すごかった。
F | 07.15.2015 13:33
とみながさん、109さん
長文をお読みいただきありがとうございました。
色々書いてみたものの、結局「ヒャッハー!」の一言ですべて言い尽くせるって、
本当にスゴい映画ですよね。ヒャッハーーーーー!!!!
能見孝一 | 03.06.2016 23:25
素晴しい記事です!有難うございます!近々また劇場で「怒りのデス・ロード」に酔つてきます!

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